私のNPO LIFE

カテゴリ:子どもに学ぶ( 29 )




こどもらしさ

節分は、買っておいた豆さえも食べるのを忘れて(だからもちろん豆まきもしない)過ごしちゃった。バチとか当たったりしないよねえ。

さて先日、はしゃいで豆まきをする子どもらを見た。
鳥の劇場の「小鳥の学校」でのこと。
鹿野のまちづくりの人たちが様々な鬼の姿でいきなり乱入してきた。(予定通り?)
そして「悪い子はおらんか〜」と子どもらに歩み寄る。
わ〜わ〜きゃ〜きゃ〜、大騒ぎで逃げ回る子どもたち。
「ほらほら、豆をあげる」と小さな袋入りの豆を渡されると、子どもらは躊躇なく袋を破って豆を一斉に投げつけた。
子どもらの反撃のはじまり。
会場は一瞬で豆だらけ。袋を破っては豆を投げ、破っては豆を投げ、今度は鬼の方が逃げ腰に。

この様子を見ていて、ああ、子どもって相変わらずね、って何だか妙に安心した。
たぶん、豆は袋のまま投げられることを想定されていたのではないだろうか。
小さな袋だもの、大人ならぜったいそのまま投げる。
後で食べられるし、その場を汚さない。
後先考えずに行動できるってすごいことだなと、何だかほれぼれしちゃった。
思いがけず豆だらけになった会場で、私たちは豆を踏まぬように用心しながら「子どもとアート」のあれこれを話し合った。
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by hatehate2004 | 2011-02-05 12:41 | 子どもに学ぶ

待つこと

ケータイが普及してから人々は一層「待つ」ことが出来なくなったよね、と誰かが言ってた。
いつでもどこでも連絡がとれる道具を持ち歩いていると、そんな風に錯覚しちゃうんだ。
私たちは以前に比べ、待てなくなっている。間違いなくそう感じる。
若い頃のことを思い出した。
いつもいつも私を待たせるボーイフレンドがいた。
待ち合わせの場所で、お茶が冷めてしまってもまだ来ない相手を待つ、それが心弾む時期というのも確かにあるのだけれど、いつの間にか「どうしていつも私は待たされるのだろう」と思うようになってしまう。
今思えば、待ち合わせの時間より早めに行く私は、待ち合わせの時間よりちょっぴり遅れてくる彼との時間に対する意識のズレを、実際の時間以上に大きく感じていたのかも知れない。
「待った?」と問われて「ううん、大丈夫」と応える私。どうして「待ちくたびれた〜」と正直に言わなかったのだろう。
あの時代にケータイがあったら、私たちの関係は変わっていたかしら?

さて、子どももまた大人を待たせる相手だね。
ひとつひとつに手間と時間を要す。そしてまた予定通りには決していかない。
けれどたいていの場合、大人がさんざん待たせているわけだから仕方ない。
2歳前後のちびちゃんが、大人の言葉を聞かないふりして逃げ回ったりするのを見ていると、実に楽しい。
こういうとき、大人は試されているのだと思う。
時間を大人が支配するのではなく、子ども自身に戻す余裕があれば、さほどに「待つ」ことをしなくても「子どもの時間」は動き出す。

先日知り合った方は、「鍵っ子だったので、母親が帰ってくるのを待っている内に、自転車の音に敏感になった」ことを教えて下さった。あ、帰って来たと思っても家の前を通り過ぎていってがっかりしたりということを繰り返した幼いころの記憶は鮮明に残っているそうで、今はどんなに遠くからでも奥様の自転車が近づいてくるのが分かるとおっしゃっていた。
待つことが、音への意識や感覚を研ぎ澄ましたのではないかというお話を聞きながら、お母さんが帰って来たときの少年の安堵感が伝わるようだった。

「待つ」ことは感性を育む、そして豊かな「思考」につながる。
もちろん「信頼関係」がしっかりあってのことだけど。
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by hatehate2004 | 2010-12-07 08:55 | 子どもに学ぶ

満たされてこそ

ダメが通用しないワケをつらつらと考えてみる。
親の言うことを聞いてもらうには、はやりまずは「しっかりきいてやる」ことが基本よね。
子どもばかりではない、大人だってそうかも。

我慢ができるようになる年令には勿論個人差がある。けれどたとえ1歳の子どもでも、1歳なりに気持ちに折り合いをつけて我慢ができるんじゃないかと、私は思っている。
どうしたら?って。
基本的信頼感と言われるけれど、やはりそれでしょう。
赤ん坊が泣く、すると誰かが来てくれる。何だか分からない不安から解放してくれる。
自分はいつでも誰かに守られている、大切にされている、そう実感できるから、誰かを信頼して待つことができる。
誰か、が母親であればというのは、私の勝手な願い。母親以外でも同じようにかけがえのない人があればよい。
裏返せば、親は、子どもにそこまで望まれる存在になれるっていうこと。いつでも、全身全霊で自分を求めてくれる。そんな存在、子ども以外いないよとも思うんだ。

こう考えると、そうまでして求めてくれる存在に、私たちは何をおいても応えてあげなくちゃって、そうじゃなきゃ申し訳ないよって思うの。
だから、赤ちゃんが泣いたら「どうしたの?」と応えてあげよう。「ママ〜」って呼ばれたら「なあに?」って応えてあげよう。
それだけのこと。
それができていれば、いや、それができていないと、親の言うことなど聞いてはくれないのではないかしら?

子どもは賢い。わがままを覚えると親の弱みにつけ込んであの手この手で手こずらせる。
けれど、本当に満たされるってことを知っている子は、そんな駆け引きの必要などないことを知っているよ。大切な人を困らせることは本当の喜びをもたらさないって分かっているから。

まずはきいてあげること。
その要求が叶うか叶わないかは別の問題。思いをしっかり受け止めてあげること。
そこからしか始まらない。
とてもシンプルで、だけどとても難しいことだ。
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by hatehate2004 | 2010-09-12 10:40 | 子どもに学ぶ

どうして?

NHKラジオの夏休み子ども科学電話相談が面白い。
先日倉吉まで出かける道中聴いていて、思わずクスッとしたりへ〜って感心したり。
小中学生対象だと思うんだけど、中には幼稚園さんからの質問もあったりして、質問の内容の可愛らしさ、そして受け答えする専門家の先生の答え方にも個性があって、飽きることのない時間を過ごせた。
4歳の子どもの質問。
「幼稚園で柿の実を拾いました。いつになったら食べられますか?」
「◎◎ちゃんが拾った柿の実の大きさを教えて下さい」
「・・・。」
「ピンポン球くらいかな?」
「はい。」
「◎◎ちゃん。柿、好きなの?」
「はい、好き。」
「そう、でもねえ、その柿の実は食べへんほうがええ思うわ(関西弁で応える先生)。◎◎ちゃんが柿好き言うのんは、美味しいからやと思うけど、果物は何故美味しい思う?果物はねえ、動物に美味しく食べてもらうことで生きのびてきた植物やねんね。◎◎ちゃんが美味しいって思った柿の実には種があったでしょう?」
「はい、ありました」
「その種はどんなんやったかなあ。大きな種やったとおもうけど、種が育った状態が一番美味しいの。一番美味しいときに動物にたべてもろうて、どかか違う場所にフンと一緒に種を蒔いてもらいたいの。そやから、くだもんはおいしい。分かるかな?」
「・・・。」
「◎◎ちゃん。せっかく拾った柿の実やけど、それはね、しぶいって分かるかな?とにかく、美味しくない思うわ。そやからね、食べん方がいいです。でも、せっかく拾ったんやから、美味しくなる前に落ちてしまってその柿の実も残念がってる思うから、お母さんに切ってもらってね、種が出来てるかどうか、あったらどんな種か調べてみて下さい。」

拾ってきた柿の実を、いつか美味しくなるのではと楽しみに待つ幼稚園児の姿が目に浮かぶようだった。
子どもが抱く「何故?どうして?」という疑問に、教えられることばかり。また是非聴いてみよう。
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by hatehate2004 | 2010-07-23 09:58 | 子どもに学ぶ

子どもがせんせい

ここあんで、子育て中の方と出会わせてもらう日々。
みんな頑張っているなあ〜と感心。頑張りすぎないでね、とも。
二人目、三人目というお母さん達には、こちらの方が学ばせてもらう。
そして思うの、私はホントに未熟だったと。

昨日、誰も来ないここあんで、津森房江さんの本を久しぶりに読み返してみた。
私自身が、子どもの見方を大きく変えることになった、そのきっかけをくれた方。
書かれれたものを通じての出会い、そしてすぐに、乳幼児グループ(婦人の友)に導かれるのだが、このグループから送られてくる「乳幼児便り」が、私の子どもとの生活のバイブルになった。

津森さんの言葉をたどりながら、子どもの行動の意味を、自分の対応がどうだったのかをいつも問い続けることを忘れちゃいけないと改めて思った。

ここあんで出会う赤ちゃんに、じっと、じっと見つめられる度、「ちゃんと生きているかどうか」を試されてるようで、しっかりと見つめ返せる自分でいたいと思う。

子どもを見つめることで、自分が見える。子どもに恥ずかしくない生き方をしたい、その一心で、私はようやく歩いている。
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by hatehate2004 | 2010-07-02 09:25 | 子どもに学ぶ

「自分で!」「いや!」

このところ「いやいや期」(2歳頃)のお子さんを持つお母さんから、その対処法について問われることがあります。
確かにこの年頃のお子さんは、「いや!」を連発しますね。お母さんが説得にかかると、余計に「いや!」が大きくなったり。
先日もメディアの座談会で「いやいやはいつ終わるんでしょう」とうんざり顔のお母さんに出会いましたが、「最後には勝手にしなさい!って言うんです。そうすると泣きながら追いかけてくる。どうしたらいいんですか?」とお決まりのパターンを暴露して下さいました。
こうした時、大人は子どもの言葉をまともに受け取ってはいけません。親としては正論をぶつけたくなるんです。ちゃんと教えなくちゃって思いますし、この前まで親の都合が通ったのに、子ども自身が自分の都合(言い分)を通そうとし始めるわけですから、心中穏やかではいられません。
私自身も通って来た道だから、よく分かります。心に余裕のない時などは、つい正面から勝負しようとして、お決まりのパターンで泣かせて終わり、という気まずい失敗をやらかしてしまいます。
「いや!」「自分で!」「○ちゃんの(自分の)」・・・こうした自己主張を始める時期の子どもたちを見ていると、生命力というかものすごいパワーを感じますね。赤ちゃんを卒業して、ひとりの人として生きはじめる時とでも言いましょうか、好奇心旺盛で疲れを知りませんから、付き合う方にもエネルギーが必要です。
できることなら、今その子どもが求めていることを満たしてあげたいですが、時と場所、その他さまざまな理由で応じられないことも多いです。
そうしたときに、少しずつ「我慢」ということを覚えるわけですね。けれど「我慢」ができる子どもには、十分に満たされた経験が必要。日常の小さなことでも、できる範囲で満たしてあげる。そのことを積み重ねていくことが、大切なように思います。
子どもたちは自己主張しながら大人を試しているようにさえ思えますね。その挑発につい乗ってしまいそうになりますが、子どもの「言葉」は確かなものではありません。言葉ではなく、気持ちを理解するように大人は努力しなくては。
そうしている内に、「いやいや」を卒業し、他者を思いやることのできるお兄さんお姉さんになっていくのではないでしょうか。
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by hatehate2004 | 2010-06-18 09:10 | 子どもに学ぶ

「よし」という快感

先日のおもちゃ講座で積み木遊びについて木やさんから教えていただいた。まずはじめは「崩す」を繰り返し、やがて積む、並べるへと遊びを進化させていくと。
積む、という行為も、はじめは縦横お構いなしにただただ積み重ねることから、あるときを境に一定方向(持ち替えて向きを揃える)に積み重ねることができるようになる。
大きさや形、色、素材の質感までも「同じ」と「違う」を認識できる頃だろうか、子どもを見ていて最も面白い、遊びの幅が広がる年頃だよね。
木やさんのお話を聞きながら、子どもの発達表現について思いをはせる。
成長に伴い、積み木は「崩す」ものでなく「積む」ものとなり、あれだけ壊していたのに、崩れるのをとても嫌がる時期がやって来る。はいはい期の赤ん坊がお兄ちゃんの作品を壊そうと近づいてくるのを「怪獣」だといってパニックになるのも分かるね。
やがて積む行為は、並べるという行為へも興味を伸ばす。延々と並べる、どこまでも、どこまでも。
そしてまた、「おんなじ」を集めて並べる。自分なりの法則に則って分類し、「よし」という顔をしてみたり。
そう言えば、我が家の次男坊がスパーのお菓子売り場に行くと必ず袋詰めキャンディー(好きなものを一袋につめて100円)のコーナーで立ち止まり、混ざってしまっているキャンディーをそれぞれのしきりの中に戻して「よし」って顔をしていたことなど思い出した。
ミニカーを数珠つなぎに並べてぶつぶつ独り言を言っていた、あの時期特有の行為だったように思う。
同じモノを並べて「よし」と感じる心とは?
隙間なくぴったりとはまることを「よし」と感じる心とは?
一つを手渡すと必ず「もうひとつ」を要求し、両手に握って「よし」と感じる心とは?
人間らしくなった子どもたちが必ず通る、彼ら自身が納得できる「よし」の感覚、「快感」は一体どこから来るのだろうか?
上手にできたことを褒められて嬉しいとかいう心の育ちとはまた別の、ヒトが進化の過程で獲得した、生きぬく上での知恵のもと「生きる力」につながる重要な要素。それは遺伝子レベルで組み込まれているのではなかろうか。
この頃ふと、そんなことを考えている。
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by hatehate2004 | 2010-06-03 08:59 | 子どもに学ぶ

期待に応える

子どもって、どうしてあんなに繰り返しを喜ぶのかしら?
来るぞ、来るぞって構えて待っているから、その期待に応えてあげるだけなんだけど。
予想していたことが、予想していたとおりに実行されることの、その喜びよう。
今日も一日ここあんにいて、わらべうたを楽しんだ子どもたちと遊んで過ごす。
こちらから働きかけることなど、ほとんどしない。
子どもたちが、何かを期待して待っているときの、あの表情、なんて可愛いんだろう。
子どもは、ちゃんと求めてくる。人を、信頼することを学んだからこそできること。
その求めに、できうる限り応えてあげよう。
しっかり、応えてもらった子どもは、人の期待にも応えられるようになる。
私は、そう信じている。
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by hatehate2004 | 2010-03-23 22:53 | 子どもに学ぶ

子どもの声の代弁者

熊丸みつ子さんの講演会に行ってきた。
何というパワーあふれる方なんだろう。まったくよどみなく、2時間しゃべり続ける。
笑わせて、泣かせて、笑顔にさせて、元気にさせる。
こうした講演活動を、年間七〇〇回しているのだとか、ただただ脱帽。
子育て中の親たちが、日々感じるイライラについて「いいわね、お母さん幸せね、子育て順調よ!」と認めて励ます。
ちょろちょろと落ち着かない幼児期、「順調、順調!子どもたちはお仕事しているのよ」と表現する。
笑って笑って、それは楽しい講演会なのだけど、あっちこっちからグスングスンと聞こえてくる。みんなハンカチで涙をぬぐっている。
きっと、「おかあさん、今のまま、そのままでいいのよ。」と背中をなでてもらっているような感じがするんじゃないかなあ。
そして、子どもたちの行動を「意味のある仕事」と表現しながら、子どもたちの言葉が聞こえでもするかのように伝える。子どもの声の代弁者。

今、世の中にもっとも足りないのは、こうした人の存在なんじゃない?。
一昔前は、隣近所にいてくれた、世話好きで頼りになる人。
大人でも子どもでも、その人の笑顔や手の温もりや「大丈夫」の一言が「生きていく力」になるような関わり合い「つながり」をもてた時代の何と豊かなこと。
私たち、ひとりひとりが、地域の熊丸さんになればいいのよね。
「子どもは親だけが育てるんじゃない」という言葉が胸に響いた。
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by hatehate2004 | 2010-02-03 08:38 | 子どもに学ぶ

おむつなし育児の会

おむつなし育児の話はその後どうなったのかと、報告を心待ちにしていて下さる方も多いはず。
遅ればせながら報告しますね。

まずは、りゅうちゃん(生後六ヶ月)のおしっこデモンストレーション。
「そろそろ出るかも、ここでやってみていいですか?」という声(りゅうちゃんママ)に、「いいよ、え〜っと、バケツか何か持ってこようか、あっ!洗面器にしようか」と大急ぎで洗面器を準備する私。
おむつを外し、ママのお膝の上でささげてもらうりゅうちゃん。
りゅうちゃんのお尻の下に洗面器をあてがう私。
「シー、シー、シー」ママの声に、にわかに目つきを変えるりゅうちゃん。
自分のおちんちんをじっと見て、お腹に力を込め、シー、ちょろちょろ〜
「わ〜っ!!出た出た!!」大人の声にちょっとビックリ、おしっこが止まる。・・・が、また続いてちょろちょろ〜 洗面器の中にきれいな小さな湖が出来ました。
すごいっ!!参加者一同ちょっとした興奮状態の中、会ははじまりました。

参加者はリード役のりゅうちゃんママを含め11組。
お子さんの年齢は、三ヶ月から2歳までと幅広く、妊娠中の方もいらっしゃいました。
布おむつ派、紙おむつ派、両方使い派など、いろいろです。
とにかく、母親たちはわが子のおしっこやうんちの話を生き生きと語るのです。
そうした参加者の体験とその中での気づきを、皆が共有できるのは、どんな優れた育児書を読むより、専門家の講演を聞くよりためになる。そうした現場に今回、立ち会えたことを私も嬉しく思いました。
紙にしろ布にしろ、子どものお尻におむつを当てていることに何の疑問も感じていなかった人たちが、おむつの中で排泄をすることは決して気持ちよいことではないと気づき、そのことが子どもとの関係をより深くするのだろうと、話を聞きながら感じました。
そして何より、赤ちゃんが意識的におしっこをする、できる存在なのだと知ったことも大きかったですね。(りゅうちゃんは、おしっこをするとき、ちゃんとお腹に力を入れていましたから)
ささげてあげたり、おまるを使ったりして、うんちはすっきり出るし、おしっこの回数も少なくなる(一度にたくさん出る)。すると、おむつを汚す回数も減るので、布ならお洗濯が楽、紙なら経済的、と「おむつなし」を取り入れて、子どもとの日々が一層楽しくなったという方もありました。
さて、そうは言っても、ずっと紙おむつ、という方たちの中には、布おむつの当て方や取り替え方(タイミング)、つまりおこさんの排泄行動そのものがつかめていない方もあり、そうした場合は何からどうはじめて良いのやら見当もつかない。親も子もストレスを感じるようなことではいけませんしね。
「日中、布おむつを試してみたら?おむつの塗れる間隔とかも分かるんじゃない?」とアドバイスがあり、今度は布おむつの当て方デモンストレーション。
布おむつ派のたかちゃんのおむつ交換をみんなで見学です。
「男の子だから、前の方を二重に」とか、他の布おむつ派ママも参戦し、おむつのたたみ方も実演がくり返されました。
結局、「当ててみれば?」という声に、りゅうちゃんママが知り合いから譲ってもらい準備してくれた布おむつとおむつカバーを借り、初布おむつ体験にまで発展しました。
「おむつの横から指を入れるとおしっこしてるかどうか分かる」とアドバイス。
その間に、ここあんのトイレでは愛用の便座を持ち込みおしっこさせる人や、それを借りて試してみる人もあり、おまるやトイレへの誘い方についても実例報告が続々。
こういった刺激を受けると、お母さんたちはついついがんばり過ぎちゃいますから、
決して無理をせず、余裕のあるときにすることが続けていける秘訣ではないでしょうか。
せっかくみんなで盛り上がったのだから、定期的に集まって情報交換を続けましょうと、次回の日程を決め、解散となりました。

おむつなし育児の会(仮称)次回は、1月18日(月)午前10時半〜
参加費無料(ここあん協力金のみお願い致します)、ここあんは場所の提供のみ、自主サークルのような形で定例会を開いていただきます。
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by hatehate2004 | 2009-12-22 08:44 | 子どもに学ぶ

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2015年6月より、一部カテゴリーのみ再公開します。
子どもとの日々に何かしらお役に立てれば幸いです。

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