私のNPO LIFE
2021-05-15T08:22:52+09:00
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悩めるNPO人の日常
Excite Blog
「私のNPO LIFE」ふたたび
http://hatehate.exblog.jp/21904714/
2015-06-26T08:44:00+09:00
2015-06-26T08:44:25+09:00
2015-06-26T08:44:25+09:00
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未分類
長らく非公開としておりましたが、次のカテゴリーのみ再び公開することに致しました。
この度、公開を決めたのは、次のカテゴリーのみです。
右のカテゴリー一覧から記事の閲覧が出来ます。
○メディア論
○佐々木正美先生に学ぶ
○子どもに学ぶ
子どもとメディアに関する私見「ワタクシ流メディア論」は、今のようにスマートフォンが普及する前(2008年以前)に書いた記事です。
時代の流れを考慮しながらお読みいただければと思います。
佐々木正美先生は、子どもとの関わり方を学ぶ上で、私が最も影響を受けた先生(児童精神科医)です。
子ども・子育てについて、個人的に日々思うことを綴った記録ですが、子育て中の方にお伝えすることで、何かしらお役に立てることを期待して、再び公開致します。
2015年6月26日 ここあん庵主
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「私のNPO LIFE」そろそろお終いに
http://hatehate.exblog.jp/12830568/
2011-02-07T08:54:00+09:00
2011-02-28T21:48:29+09:00
2011-02-07T08:54:00+09:00
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未分類
今では、私の生活の一部になりました。
ネットでなければ出会うことなどなかった方々と日々交流させて頂く中で、励まされ、勇気をもらい、深く考え、自身の間違いに気づくことが多々ありました。
勢いに任せて不満のはけ口のごとく、思いを書き綴ったことも多かったですね。
書くことで頭の中を整理し、書くことで覚悟を決めるといった日々。それが私にとってのブログでした。
こうして、NPOに関わる人間として日々思うことを綴ってきましたが、ここらで一区切り、そろそろこのブログを閉じようと思います。
少し前から、「NPO LIFE」という名前に私自身の現状とのギャップが生じているなあと感じていたのが一番の理由でしょうか。
名前を変えて続けることも考えましたが、今、私のもうひとつの軸足になっている「ここあん」へと、重心が今後更に傾くことを考えると、「子己庵生活」だけで充分ではないかという結論に達しました。
ですので、「私のNPO LIFE」については、そろそろお終いにしようと思うのです。
今後は、子ども・子育てのことを中心に「子己庵生活」を日常更新させて参ります。
怒ったり、喜んだり・・・特に立ち止まることの多かった私に寄り添って下さった皆さまに深く感謝申し上げます。
コメントをもらってのやりとりはまた、とても楽しかった。今後も変わらずお喋りしましょうね。
いつも黙ってブログを見守り続けて下さった方があったこと、そこのとを忘れたことはありません。これからも、それは忘れずにいることでしょう。
もうしばらく、ブログはこのままにしておきますが、今月中には子己庵生活への移行を果たしたいと考えています。つたない記事の数々ですが、もうしばらくでさよならします。
今後は子己庵生活へお越し下さいませ。
2011年2月28日、本日をもって更新を終了致します。これまで綴ってきた記事の公開は終了致します。hatehate2004
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こどもらしさ
http://hatehate.exblog.jp/12820047/
2011-02-05T12:41:05+09:00
2015-06-26T08:09:49+09:00
2011-02-05T12:41:02+09:00
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子どもに学ぶ
さて先日、はしゃいで豆まきをする子どもらを見た。
鳥の劇場の「小鳥の学校」でのこと。
鹿野のまちづくりの人たちが様々な鬼の姿でいきなり乱入してきた。(予定通り?)
そして「悪い子はおらんか〜」と子どもらに歩み寄る。
わ〜わ〜きゃ〜きゃ〜、大騒ぎで逃げ回る子どもたち。
「ほらほら、豆をあげる」と小さな袋入りの豆を渡されると、子どもらは躊躇なく袋を破って豆を一斉に投げつけた。
子どもらの反撃のはじまり。
会場は一瞬で豆だらけ。袋を破っては豆を投げ、破っては豆を投げ、今度は鬼の方が逃げ腰に。
この様子を見ていて、ああ、子どもって相変わらずね、って何だか妙に安心した。
たぶん、豆は袋のまま投げられることを想定されていたのではないだろうか。
小さな袋だもの、大人ならぜったいそのまま投げる。
後で食べられるし、その場を汚さない。
後先考えずに行動できるってすごいことだなと、何だかほれぼれしちゃった。
思いがけず豆だらけになった会場で、私たちは豆を踏まぬように用心しながら「子どもとアート」のあれこれを話し合った。]]>
大人と子どもの境界線
http://hatehate.exblog.jp/12781853/
2011-01-29T22:15:50+09:00
2015-06-26T08:07:01+09:00
2011-01-29T22:15:52+09:00
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佐々木正美先生に学ぶ
けれど、いつまでもそうしていたらわがままになるのではないかと不安になったりもするのだ。
子どもの願いを叶えるということは、言いなりになるということとは違う。
ここのところが難しいところだな、といつも思う。
私自身も、ある時まで子どもの意見をどこまで聞いて認めてやればよいのか分からず失敗を繰り返してきたように思う。
長男がもうじき3歳という頃だっただろうか、実家に遊びに行っていて、そろそろ帰ろうかと言う時刻になった。「Tちゃん、いつ帰る?そろそろ帰ろうか?」と息子に聞く私に母が「子どもに聞くの?」と不思議そうに言った。
この時、私は幼い息子の意志を尊重して育てていると言う自負があった。
「今頃の母親は子どもにいちいち聞くんだね」と言った母の言葉が、後になってようやく理解できた。
「まだ帰らない」と息子が決めたとする。すると、意見を求め、決めさせておいて、果たしてその通りにできるであろうか。結局あれこれ理由をつけて、息子の意見は曲げられることになるのではなかったか。
子どもの意思を尊重しているように見えて、実際は責任を幼い子どもに預けてしまう行為だったなと反省している。
佐々木先生の書物の中に「家庭のパワー構造」という言葉が出ていた。家庭内の力関係とでもいうような構造のこと。ひと時代前ならどこの家庭でも父親が最も指導権を持っており、次にパワーのある母親との間に良好な協力関係が存在した。そして両親と子どもたちの間には、はっきりとした境界線があり、子ども中心の家族の姿勢はない。けれど、子どもの意見が黙殺されるようなことはなく、パワーは小さいなりに家族の一員として安心して暮らせる。
両親のパワーの差が極端な場合や指導権を全く発揮できない親の元では、一方の親と子が偏った結びつきをしたり競争関係に陥るなどの歪みが生じるという。
このパワー構造にある、親と子どもたちとの境界線が、実はとても大切なのではないだろうか。
親ばかりでなく、今や大人と子どもの境界線もまた曖昧になりつつあるように思う。
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父性とは
http://hatehate.exblog.jp/12770855/
2011-01-27T22:27:40+09:00
2015-06-26T08:07:01+09:00
2011-01-27T22:27:38+09:00
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佐々木正美先生に学ぶ
佐々木正美先生のテキストを中心に勉強し、レポートを提出しスクーリングを受けることができる。
2回予定されていたスクーリングは、遠方であったことや日程が合わなかったことなどから結局行けなくてもったいない感じもしたけれど、レポートを書くために結構頭を使っていることだけでも、受講して良かったと思っている。
文章にするという行為は、分かったつもりでいたことを改めて理解し、自分以外の人に伝える言葉に再構成させる作業だ。
理解が不十分だと一向に先へ進まず、特に今回選んだテーマ「父性」はなかなかに手強い。
父性は、元来家庭内での社会性に関わる役割を担ってきた。あるがままを受け入れる母性的な役割と異なり、社会の文化を伝え規律を教える役割、それが父性であると言われてきた。
ただし、父性とは父親だけが持つものではない。(母性もしかり)
今のように価値観が多様化する時代にあっては、父なるもの=父とは言い難く、母親であっても父性的機能を発揮する場合もあってよいのだ。
だから、家庭内に父性と母性、両方が存在することが大事なのだと、そう理解していた。
けれど、それはそう容易いことではないのだなあと、今回学び直して気づいた。
存在し、なおかつ機能してこそ、その役割を果たせる。
子どもたちが引き起こす様々な問題の背景には、父性の欠如があり、それに伴う母性の欠如があるのだという。
母性機能が発揮されるためには父性が欠かせない。母性と父性、互いに補完し合い、強調し合う中でのみ役割を果たせるというこの関係性を、それぞれの家庭でどう役割分担していくのか、それこそ父性的なパワーを誰かが発揮して導いていかなければならないだろう。]]>
育児書
http://hatehate.exblog.jp/12480771/
2010-12-11T09:42:14+09:00
2015-06-26T08:07:01+09:00
2010-12-11T09:42:12+09:00
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佐々木正美先生に学ぶ
保育士さんにも佐々木先生ファンは多く、先生の地元では保育士との勉強会を長年続けておられると聞いた。
幾度読んでも、そして先生の講演などは幾度聴いても飽きることはない。
むしろ、幾度も読み、幾度も実際に聴くべきだと私は思う。
とくにこの「子どもへのまなざし」は忙しい方でも無理なく読めるおすすめの一冊。
ここあんの常連さんの中には、側に置いておきたくて買い求めました。という方が幾人もいらっしゃる。
以前、この本を素直に受け入れられなくて苦しくなったと、その胸の内を明かしてくれた母親があって以来、だれかれなしにいい本だから読みなさいとすすめるのをためらうようになったけれど、それでもここあんの育児書の棚に並んでいる本の中で一押しを問われたらこの本を取り出すだろう。
今、育児書という名のものがちまたには溢れている、おしゃれな育児雑誌も次々に創刊される。
そしてまたネットには子育て応援サイトや育児相談、育児ママの子育て日記などが限りなく存在するけれど、けれどそうした情報に振り回されるくらいなら、佐々木先生の一冊を手元に置いて、時間を見つけて気になるページを開いてみることをおすすめする。
日本中の子育て世帯に、サンタさんがこの本をプレゼントしてくれたらいいのにね。
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赤ちゃんだってできる
http://hatehate.exblog.jp/12459413/
2010-12-08T08:32:00+09:00
2021-05-15T08:21:53+09:00
2010-12-08T08:32:51+09:00
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おむつなし育児
Nちゃんはぐっとお姉さんらしくなり、会話が楽しい。「どうして?」「どうして?」の連発に、ギブアップしそうになりつつ納得できる答えを出そうと老化気味の脳がフルパワーで対応する。
ちゃんと答えたつもりでも、真顔でさらに「どうして?」が続く。大人の思考などとはかけ離れた疑問が子どもの中にはあるのだろうなあ。
Nちゃんの「どうして?」の知りたがっていることの本質を導き出すような会話ができないといけないのだろう。
悩みながら会話を続けていくと、少しだけれどNちゃんの不思議な世界が見えたように思った。
さて、この世に生まれてひと月余りのTちゃん。目がしっかりと合い話しをよく聞いてくれる。
そして、ここあんのおまるでおしっこ大成功。
ママにささげてもらうとちょっと考えたような表情をした後ごく自然におしっこをする。
すごいよね、あかちゃん。
そして「オムツを洗うよりずっと楽」とママ。
おむつなし育児をたのしんでいらっしゃる様子にこちらも嬉しくなる。
ここあんのおむつなし育児実践者達の多くが、順調だった時期を過ぎ「オマルいやいや期」に突入、そこから脱出できずにいることなどをお伝えし、赤ちゃんの能力の不思議に思いをはせた。
ハイハイの頃から立っち、あんよと身体能力が著しく発達する時期、オシッコの間隔が全くつかめなくなるとお母さん達は口を揃える。
おまるで一定量のおしっこを出せていたはずなのに、オムツの中でちびちび出しをしているらしいと言うのだ。
もしかして、おしっこを「ためる・がまんする練習」をしているのじゃないかしら。
排泄に使う筋肉の弛緩法をいったん忘れて、筋肉の収縮を習得することを優先する時期だったりしてね。
収縮への意識の方が強い時期は、オマルに座らせてもうまく弛緩出来ないのかも知れない。
そしてまたこの時期は好奇心旺盛で自分の意志もはっきりし出す頃だからオシッコのことなど二の次になっちゃうのだろう。
赤ちゃんもひとり一人個性があって同じようには育たない。けれど、「排泄行動」に注目して見ると、今まで気づかなかったことに気づかされ、新たな発見があり、とても面白い。
大人達は子どもの知識(言葉など)を増やすことに、つい熱心に反応しがちだけれど、赤ちゃん自身が自己の身体への感覚に注意を向け、身体を通して感じられる喜びや発見に気づく瞬間を見逃さないでいられたらと願う。誰にも気づかれず、けれど赤ちゃんはたゆまぬ努力を続けてに違いない。無意識下ではあろうが、排泄コントロールへの試行錯誤をしていることに、どうか気づいてあげて欲しい。]]>
待つこと
http://hatehate.exblog.jp/12452304/
2010-12-07T08:55:56+09:00
2015-06-26T08:09:49+09:00
2010-12-07T08:55:54+09:00
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子どもに学ぶ
いつでもどこでも連絡がとれる道具を持ち歩いていると、そんな風に錯覚しちゃうんだ。
私たちは以前に比べ、待てなくなっている。間違いなくそう感じる。
若い頃のことを思い出した。
いつもいつも私を待たせるボーイフレンドがいた。
待ち合わせの場所で、お茶が冷めてしまってもまだ来ない相手を待つ、それが心弾む時期というのも確かにあるのだけれど、いつの間にか「どうしていつも私は待たされるのだろう」と思うようになってしまう。
今思えば、待ち合わせの時間より早めに行く私は、待ち合わせの時間よりちょっぴり遅れてくる彼との時間に対する意識のズレを、実際の時間以上に大きく感じていたのかも知れない。
「待った?」と問われて「ううん、大丈夫」と応える私。どうして「待ちくたびれた〜」と正直に言わなかったのだろう。
あの時代にケータイがあったら、私たちの関係は変わっていたかしら?
さて、子どももまた大人を待たせる相手だね。
ひとつひとつに手間と時間を要す。そしてまた予定通りには決していかない。
けれどたいていの場合、大人がさんざん待たせているわけだから仕方ない。
2歳前後のちびちゃんが、大人の言葉を聞かないふりして逃げ回ったりするのを見ていると、実に楽しい。
こういうとき、大人は試されているのだと思う。
時間を大人が支配するのではなく、子ども自身に戻す余裕があれば、さほどに「待つ」ことをしなくても「子どもの時間」は動き出す。
先日知り合った方は、「鍵っ子だったので、母親が帰ってくるのを待っている内に、自転車の音に敏感になった」ことを教えて下さった。あ、帰って来たと思っても家の前を通り過ぎていってがっかりしたりということを繰り返した幼いころの記憶は鮮明に残っているそうで、今はどんなに遠くからでも奥様の自転車が近づいてくるのが分かるとおっしゃっていた。
待つことが、音への意識や感覚を研ぎ澄ましたのではないかというお話を聞きながら、お母さんが帰って来たときの少年の安堵感が伝わるようだった。
「待つ」ことは感性を育む、そして豊かな「思考」につながる。
もちろん「信頼関係」がしっかりあってのことだけど。
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考えをまとめる・伝える
http://hatehate.exblog.jp/12065632/
2010-10-12T08:25:40+09:00
2015-06-26T08:07:01+09:00
2010-10-12T08:25:37+09:00
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佐々木正美先生に学ぶ
先日第1回レポートの結果と第2回レポートのテキストが送られてきた。
レポートと言っても大袈裟なものでなく、いくつかの与えられたテーマの中から一つを選び、それについての意見、感想をまとめるというもの。
最初は簡単なことだと正直思っていたけれど、これが意外に難しかった。
5つあるテーマ全てにレポートを書けるくらいの勢いだったのが、結局は最も基礎的なテーマを選んでなんとか書けたという感じ。
結果としては、一番良い評価をもらいホッとしているけれど、第2回レポートは全てのテーマへの挑戦を諦めないようにしたい。
分かって(理解して)いるつもり、ではなく、きちんと理解するためには、学んだことを自分なりにまとめて書く、ということがやはり大切ですね。
さあ、勉強!勉強!
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満たされてこそ
http://hatehate.exblog.jp/11905200/
2010-09-12T10:40:15+09:00
2015-06-26T08:09:49+09:00
2010-09-12T10:40:13+09:00
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子どもに学ぶ
親の言うことを聞いてもらうには、はやりまずは「しっかりきいてやる」ことが基本よね。
子どもばかりではない、大人だってそうかも。
我慢ができるようになる年令には勿論個人差がある。けれどたとえ1歳の子どもでも、1歳なりに気持ちに折り合いをつけて我慢ができるんじゃないかと、私は思っている。
どうしたら?って。
基本的信頼感と言われるけれど、やはりそれでしょう。
赤ん坊が泣く、すると誰かが来てくれる。何だか分からない不安から解放してくれる。
自分はいつでも誰かに守られている、大切にされている、そう実感できるから、誰かを信頼して待つことができる。
誰か、が母親であればというのは、私の勝手な願い。母親以外でも同じようにかけがえのない人があればよい。
裏返せば、親は、子どもにそこまで望まれる存在になれるっていうこと。いつでも、全身全霊で自分を求めてくれる。そんな存在、子ども以外いないよとも思うんだ。
こう考えると、そうまでして求めてくれる存在に、私たちは何をおいても応えてあげなくちゃって、そうじゃなきゃ申し訳ないよって思うの。
だから、赤ちゃんが泣いたら「どうしたの?」と応えてあげよう。「ママ〜」って呼ばれたら「なあに?」って応えてあげよう。
それだけのこと。
それができていれば、いや、それができていないと、親の言うことなど聞いてはくれないのではないかしら?
子どもは賢い。わがままを覚えると親の弱みにつけ込んであの手この手で手こずらせる。
けれど、本当に満たされるってことを知っている子は、そんな駆け引きの必要などないことを知っているよ。大切な人を困らせることは本当の喜びをもたらさないって分かっているから。
まずはきいてあげること。
その要求が叶うか叶わないかは別の問題。思いをしっかり受け止めてあげること。
そこからしか始まらない。
とてもシンプルで、だけどとても難しいことだ。]]>
豊かな人間関係
http://hatehate.exblog.jp/11876667/
2010-09-07T08:24:45+09:00
2015-06-26T08:07:01+09:00
2010-09-07T08:24:42+09:00
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佐々木正美先生に学ぶ
佐々木先生の講演会で、初めてこの言葉を聞いたとき、いつもどこかにひっかかっているモノがストンと落ちて気持ちがすっきりとしたのを覚えている。
ぎくしゃくした人間関係は、日常の中にも多々潜んでいる。言いたいことをぐっと飲み込んで相手に合わせなければならないこともあるし、相手の出方をさぐりさぐり付き合うことだってある。
私自身が気を遣わなくたって、気づかぬところで相手にあれこれ気を遣わせたり、無理させることだってあるだろう。
家庭の中でさえ、先のエリクソンの言うような”相互に支え合うものが等しい価値を持つ”など、そうそう認識できはしないしね。
この名言を聞いたとき、「ああ、そうか」と納得できたのは、とっさに頭に浮かぶ友人や仲間があったからだ。
”相互に支え合うものが等しい価値を持っていることを認識できる関係”においては、ストレスを感じる必要がない。ストレスどころか、互いの関係が心を豊かにする。
夕べ、大切な人の「お祝いの会」を催し、集まった人たちとともに歓びを分かち合った。
”豊かな人間関係”、エリクソンの言葉が思い出された。]]>
おねしょ布団
http://hatehate.exblog.jp/11685410/
2010-08-05T09:31:07+09:00
2021-05-15T08:22:52+09:00
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おむつなし育児
「布団をぬらされるのは嫌」なんだって。
もちろん誰だって嫌なのよ、布団におねしょされるのはね。
だから、おねしょ対処用に敷きパットとかあるわけだけど、敷きパット使うと夏場は蒸れて暑いし、子どもって動き回って眠るから敷きパット外でやられちゃったりもして、買ったけど結局あまり使わない。
だから、どこの家庭にも「おねしょ布団」と呼ばれる布団があったのよねえ。さまざまに地図が描かれた幼い子どもが使う布団。
今、子どもたちのおむつが外れる年令は20年前に比べて1年以上遅くなっているそうだ。そして、おねしょが続く場合は、大きくなっても夜のおむつが常識なんだって。
布団をぬらされることもない。子どもも罪悪感を感じなくて済む?
おねしょには個人差もあり、一概には言えないかも知れないが、特別な場合を除けば、布団を汚されたり室内で幾度もおもらしされたりを「当たり前」と思える大人でありたいよね。
おねしょ布団は、子どものありのままを受け入れようとする親の心(寛容さ)の象徴だったかもしれないね。]]>
7月のおむつなし育児の会
http://hatehate.exblog.jp/11626085/
2010-07-26T21:39:51+09:00
2021-05-15T08:22:52+09:00
2010-07-26T21:39:50+09:00
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おむつなし育児
その内3名が7月生まれ。お誕生月おめでとう。
2歳になったAちゃんは、トイレも余裕です。「かえるのうたが〜♪」と鼻歌など歌いながら、楽しげにトイレを済ませます。
1歳のHちゃんはオマルいやいや期が続いています。数ヶ月前まではささげるとバッチリおしっこできていたのに〜、とお母さんはちょっと悔しそう。
生後3ヶ月から順調におむつなし育児を実践していたSちゃんも「近頃全然ダメ〜」なんだって。
育児って思い通りにいかないものだと、思い知らされますね。
赤ちゃんをあなどってはいけません。なかなか手強いのですから。
昨日まではこの方法で良かったのに、今日は上手くいかない。
日々成長する人を相手にしているのだから、同じやり方が通用しなくなるのは当たり前。
大人の方も付き合い方を進化させて行かなきゃね。
それにしても、オマルやトイレ、ささげるスタイルさえ「いやいや」ってお年頃の人たちと、どう向き合っていったらいいのか、母ちゃん達は悩んでいます。
何か良いアドバイスが出来ると良いんだけどねえ〜。]]>
どうして?
http://hatehate.exblog.jp/11603271/
2010-07-23T09:58:53+09:00
2015-06-26T08:09:49+09:00
2010-07-23T09:58:50+09:00
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子どもに学ぶ
先日倉吉まで出かける道中聴いていて、思わずクスッとしたりへ〜って感心したり。
小中学生対象だと思うんだけど、中には幼稚園さんからの質問もあったりして、質問の内容の可愛らしさ、そして受け答えする専門家の先生の答え方にも個性があって、飽きることのない時間を過ごせた。
4歳の子どもの質問。
「幼稚園で柿の実を拾いました。いつになったら食べられますか?」
「◎◎ちゃんが拾った柿の実の大きさを教えて下さい」
「・・・。」
「ピンポン球くらいかな?」
「はい。」
「◎◎ちゃん。柿、好きなの?」
「はい、好き。」
「そう、でもねえ、その柿の実は食べへんほうがええ思うわ(関西弁で応える先生)。◎◎ちゃんが柿好き言うのんは、美味しいからやと思うけど、果物は何故美味しい思う?果物はねえ、動物に美味しく食べてもらうことで生きのびてきた植物やねんね。◎◎ちゃんが美味しいって思った柿の実には種があったでしょう?」
「はい、ありました」
「その種はどんなんやったかなあ。大きな種やったとおもうけど、種が育った状態が一番美味しいの。一番美味しいときに動物にたべてもろうて、どかか違う場所にフンと一緒に種を蒔いてもらいたいの。そやから、くだもんはおいしい。分かるかな?」
「・・・。」
「◎◎ちゃん。せっかく拾った柿の実やけど、それはね、しぶいって分かるかな?とにかく、美味しくない思うわ。そやからね、食べん方がいいです。でも、せっかく拾ったんやから、美味しくなる前に落ちてしまってその柿の実も残念がってる思うから、お母さんに切ってもらってね、種が出来てるかどうか、あったらどんな種か調べてみて下さい。」
拾ってきた柿の実を、いつか美味しくなるのではと楽しみに待つ幼稚園児の姿が目に浮かぶようだった。
子どもが抱く「何故?どうして?」という疑問に、教えられることばかり。また是非聴いてみよう。]]>
子どもがせんせい
http://hatehate.exblog.jp/11448465/
2010-07-02T09:25:19+09:00
2015-06-26T08:09:49+09:00
2010-07-02T09:25:15+09:00
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子どもに学ぶ
みんな頑張っているなあ〜と感心。頑張りすぎないでね、とも。
二人目、三人目というお母さん達には、こちらの方が学ばせてもらう。
そして思うの、私はホントに未熟だったと。
昨日、誰も来ないここあんで、津森房江さんの本を久しぶりに読み返してみた。
私自身が、子どもの見方を大きく変えることになった、そのきっかけをくれた方。
書かれれたものを通じての出会い、そしてすぐに、乳幼児グループ(婦人の友)に導かれるのだが、このグループから送られてくる「乳幼児便り」が、私の子どもとの生活のバイブルになった。
津森さんの言葉をたどりながら、子どもの行動の意味を、自分の対応がどうだったのかをいつも問い続けることを忘れちゃいけないと改めて思った。
ここあんで出会う赤ちゃんに、じっと、じっと見つめられる度、「ちゃんと生きているかどうか」を試されてるようで、しっかりと見つめ返せる自分でいたいと思う。
子どもを見つめることで、自分が見える。子どもに恥ずかしくない生き方をしたい、その一心で、私はようやく歩いている。
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